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みて歩こう会の報告 | |
2008年9月 | 第50回 みて歩こう会「関 宿 を 歩 く」 |
第51回 「巾着田の彼岸花を見る」 | |
. | 報告作成:岡本 信夫 |
期 日 | 平成20年9月21日(日) 天気:曇のち時々小雨 |
参加者 | 30名 |
コース | 西武線高麗駅…高麗石器時代住居跡…台の高札場跡…巾着田…高麗郷民俗資料館…聖天院…高麗神社・高麗家住宅…八高線高麗川駅 |
7世紀半ば(668年)唐と新羅の連合軍により滅ぼされた高句麗から多くの人々が日本各地に渡って来ました。
その後高麗人は、「霊亀2年(716年)5月16日、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の七ヵ国にいる高麗人1795人を武蔵国に移住させ、初めて高麗郡を置いた」と続日本紀(講談社学術文庫)にありますように、現在の日高市高麗の里に集められ、同時に大陸の文化も伝えられました。 ここには高麗神社を始め、高句麗ゆかりの文物、史跡が数多くあります。折しも中国を原産とする巾着田の満開のヒガンバナと、これらの史跡を訪ねて高麗の里を歩きました。 予報では15時頃から雨とありましたが、早くも昼食をする頃から降り出し、以降降ったり止んだり。途中参加者の一人から飴の配給がありました。雨(飴)を嘗めてかかろうと言うことでしょうが、時既に遅しといった感じ。 担当の中野さん、川上さんの十分な下見のお蔭で、雨にも拘らず、ゆっくりと見て回れ、時間ぴったりに高麗川駅に着きました。 但し、人員確認の都度探し回る労力は大変なもの。お疲れ様でした。幹事の説明の際には良く聞いて、勝手な行動は慎みたいものです。 |
@ 西武線高麗駅前 |
A 高麗石器時代住居跡 |
B 台の高札場 |
C 巾着田への道は人と 車の列で迷うことはない |
D 巾着田のヒガンバナ |
E 巾着田の水車小屋 |
F 高麗の郷民俗資料館 |
G 招き猫ならぬ招き犬 |
H 聖天院の庭 |
I 聖天院本堂 |
J 高麗王若光の墓 |
K 高麗神社 |
L 高麗家住宅(重文) |
M 要所にある道しるべ |
N 参加者一同 |
O 赤い花なら曼珠沙華 |
P 白い花でも曼珠沙華 |
Q 巾着田のコスモス |
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