鳥の博物館友の会 みて歩こう会   

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みて歩こう会の報告
2008年7月 第47回みて歩こう会「大町自然公園から21世紀の森へ」
第46回 みて歩こう会「流山電鉄に乗って」
. 報告作成: 川上 貢
期 日平成20年7月8日(火)曇り
参加者36名
コースJR我孫子駅 = JR馬橋駅 ― 流山電鉄馬橋駅 = 平和台駅 ― 長流寺― 一茶双樹記念館― 光明院・赤城神社 ― 流山寺 ― 江戸川堤防 ― 閻魔堂 ― 近藤勇陣屋跡 ― 常与寺 ― 浅間神社 ― 市立博物館(解散)
今日は新撰組の近藤勇が捕縛された所であり、味醂の産地としても名高い流山の街へ半日探訪に出かけました。
出発地は終点馬橋駅の一つ手前、平和台駅前です。例によって幹事さんから説明と注意事項のお話しを聞き、まず流山七福神の恵比寿様のある「長流寺」にお参りし、そこから「一茶双樹記念館」へ。俳人小林一茶は房総方面へしきりに行脚し、この流山でのパトロンが味醂醸造元の秋元双樹で、ここはその本家跡という。
外の暑さに比べ家の中は涼しい風が心地よく流れまるで別天地へ来たようであった。庭に一茶の句碑が建つ。双樹の墓所である「光明院」では一茶と双樹の連句の碑を見た。境内の横手を通りちょっぴり登ると「赤城神社」。手を合わせ正面へ下りる。上州赤城山が崩れこの地に流れきて高さ10mの山ができた。これが流山の地名の由来とか。鳥居の前の注連縄の大きいのに驚いたが市の無形民俗文化財に指定されている。
@長流寺
@ 長流寺
A-1 一茶双樹記念館に入る
A-1 一茶双樹記念館に入る
A-2 一茶の句碑
A-2 一茶の句碑
A-3 お話しを聞く
A-3 お話しを聞く
A-4 双樹亭内部
A-4 双樹亭内部
A-5 双樹亭の整った庭
A-5 双樹亭の整った庭
A-6 双樹亭内部から格子戸越しに庭を見る
A-6 双樹亭内部から
格子戸越しに庭を見る
B-1 光明院
B-1 光明院
B-2 光明院本堂
B-2 光明院本堂
B-3 光明院境内の一茶と双樹の連句の碑
B-3 光明院境内の
一茶と双樹の連句の碑
B-4 カラタチの実
B-4 カラタチの実
C-1 赤城神社参道の波切不動尊
C-1 赤城神社参道の波切不動尊
C-2 赤城神社
C-2 赤城神社
C-3 赤城神社の大注連縄
C-3 赤城神社の大注連縄
「流山寺」の片隅に建つ大川斗囿の碑を見ながら境内をすり抜けると裏手は江戸川である。土手に上がり雄大な景色を楽しみながら上流へ歩き、次に向かったのが「閻魔堂」、江戸時代の義賊、天保六歌仙の一人金子市之丞の墓所でもある。そのすぐ先が「近藤勇陣屋跡」、新撰組が本陣としていた醸造家「鴻池」の跡地である。記念碑が建っている。 「常与寺」は早くも明治5年に教員養成機関の印旛官員共立学舎が建てられたところで、これが幾多の変遷を経て今の千葉大学となった。「浅間神社」の裏に富士塚があり、皆で登った。低いお山だけれども下りは特に急峻で転んで思わぬ怪我をしないように注意が肝要! 最後の見所は呉服店「新川屋」。明治時代の古い土蔵を今も店舗にして営業中。正午過ぎ「市立博物館」で無事流れ解散、あとは博物館内を見学するのもよし、食事処の多い街中で昼食を楽しむのもよしとなったが、行かれなかった方々には是非一度歩いてみることをお勧めしたい。
D 街中で(その1)
D 街中で(その1)
E-1  流山寺
E-1 流山寺
E-2 被弾の跡が残る流山寺の句碑
E-2 被弾の跡が残る
流山寺の句碑
F  江戸川堤防を歩く
F 江戸川堤防を歩く
G 街中で(その2)
G 街中で(その2)
H-1 閻魔堂 義賊と遊女の墓
H-1 閻魔堂 義賊と遊女の墓
H-2 閻魔堂の閻魔様
H-2 閻魔堂の閻魔様
I-1  近藤勇陣屋跡
I-1 近藤勇陣屋跡
I-2 近藤勇陣屋跡の説明板から
I-2  近藤勇陣屋跡の説明板から
J  常与寺
J 常与寺
K-1  浅間神社
K-1  浅間神社
K-2  浅間神社の富士塚
K-2  浅間神社の富士塚
L  新川屋
L 新川屋
M 県庁史跡の碑
M 県庁史跡の碑
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